ヤナイチ笑闘記

バツイチオタク・ヤナイチ母さんの日常です。 広告目的等の書き込みには返事いたしませんのでご了承ください。

息子誕生日!(2014年3月)

 

息子は3月末生まれ。ようやっとクラスの子と並んだ!と思ったら華麗に年をとる4月生まれさんに、周回遅れぐらいの気分になってしまう。

そんな息子に誕生日どうしてほしいか聞きました!

 

「スイパラで祝ってもらいたい」

 

スイパラ。そう、スイーツパラダイス。母も娘も大好きです。

一応ね!お祝いなのでね!

妹親子も呼びまして、予約しました!

 

 

想像通り地獄絵図・・・。

 

 

ヒメコに至ってはポップコーンマシーンの前から離れない。

娘はレイコをオンブしたままケーキ取りに行って注目浴びてるし

母二人は完全にスイッチ壊れてブタのごとくケーキを貪る…。

 

でも!息子のお祝いイベントになったら

店員さんが歌とケーキでお祝いしてくれて

娘たちもちゃんといいこに座って(照明と音にビビッただけ)

母たちは動画と写真に別れて撮影しまくりました!

 

これも思い出!良きかな良きかな!

ドタバタ!ディズニー!(2013年11月)

何を隠そうこの私、ディズニーランドが大好きでして。

高校の頃はバイト代貯めてアホほど行っておりました。

結婚してからは三回ほど行きました。むしろ三回しかと言いたい。

元配偶者が嫌いだったんです、ディズニー。

 

そんな私はついにディズニー行きを決意!我慢できなかった!

メンツは私・娘・息子・妹・妹旦那・ヒメコ・レイコ!

 

・・・無事で帰れるのかな・・・。

 

とりあえずヒメコとレイコがどのアトラクションなら大丈夫か、何時の電車に乗って、チケットはどうするかなど細かいミーティングした時。

とりあえず大人三人がどういう感じで絶叫系に乗るかを話し合いまして(一人は乗らずに乳幼児をみてる)

柳「私、スプラッシュは乗りたいわー」

妹「私スペースマウンテンは乗っておきたい」

妹夫「はい!はい!」

柳「はい、どうぞ」

妹夫「俺、ジャングルクルーズ蒸気機関車乗りたい!!」←多分ボケた

柳&妹「・・・」

柳「ファストパスとったら最初に買い物しちゃって、ロッカー確保したいね」

妹「朝の方がワールドバザール空いてるもんね」

妹夫「お前らなぁ!俺だって買い物とかキャッキャしたいんだからな!」

妹「うん、買い物連れてってやるからちょっと黙ろうか」

 

とまあこんな感じで、打合せは進み、当日。

 

妹宅に集合して、子どもたちと妹はタクシー。私と妹夫はチャリで最寄り駅。

電車発車2分前。

 

やべぇぇぇえ!!

 

てな具合で全員で駅の階段を駆け上がりまして、目的の電車にギリギリ乗車。

3駅区間ぐらいゼェゼェ言って。

舞浜についたらコンビニで軽く朝ご飯買って並びながら食べまして。

園内に入った瞬間、打合せ通り俊敏な巨漢の妹旦那がハニーハントのファストパスを取りにダッシュ。

同じく私も愛用のウェスタンブーツで全力疾走してモンスターズインクに並んで、残り20分という順番をゲット。

妹と娘が語るに、私たちの疾走に驚く人が続出。つられて走り始める人も多くて、さながら追いかけっこのように見えたという…。

 

ダッシュが功を奏したのかモンスターズインクを楽しみ、私たちはワールドバザールにてお土産を物色。空いてる時間帯なのでゆっくり選べました。そしてすぐにロッカーに入れ込み、順番に乗り物に乗ることに。

 

途中雨もしとしと降ったりもいたしましたが、概ね順調で楽しい旅になりました。

 

まぁね、時々妹の旦那から

「ヒメちゃん!!人前でキ○タマ掴まない!!パパショックだよ!?」

という声が聞こえて来たけど華麗に無視もできましたし

 

ガイコツが怖くて大嫌いなヒメをカリブの海賊に乗せるときの、妹の悪魔のような笑顔と

「え?ママ時々あんな顔するよ」という娘の衝撃発言にも動じませんでした。

 

全員カチューシャや帽子で飾ってたんですが、妹と私が二人でチェシャ猫の帽子をかぶってた時に妹旦那に

「おい、バカネコ姉妹」

と呼ばれ、振り返った先にいたウサ耳つけた妹旦那のドヤ顔にはイラッときましたけど。

 

すっかりクリスマスに彩られたディズニーで、私は数年ぶりに心が解放されるのを感じました。子どもたちも大喜びでした。(アパレルの頃は遠出ができなかった)

 

最高!ありがとう!児童手当!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初挑戦の秋(2013年・秋)

再就職といっても気楽にいこうと、家族にそういってもらい、新しく見つけたのは工場の事務でした。

この職場でTwitterにも多く登場するゆか氏と出会いました。

 

最初ね、おっかなかった。スラーっとしてシャレオツだし、頭良いし、いい匂いするし、なんか昼休み鉄鍋のサイトとか見てるし。

なんだ鉄鍋って。なにか階段が違う!この人オシャレなキッチンでバーニャカウダソース自分で作ったりする人だ!!と

生来非モテの私は緊張しておりました。

 

実は事務って初体験だったんで、これもまた緊張の一因だったんですけどね。

でもゆか氏や先輩もいい人で、ゆるーい環境がすごく楽しい。

いいとこ来たなあ、とホクホクして仕事してます。

 子どもたちの運動会も見れまして、楽しい秋でございました。

 

10月頭には盟友れぐるすと「柳れぐの白石仙台ツアー『覚悟はできてるぜ!』」を敢行しまして。

http://eseyaxxx.blog.fc2.com/blog-entry-40.html

↑こちらをご覧ください。

 

れぐるすはもう知り合って十数年にもなる友人です。悪友、盟友に近い。

子どもたちの年齢もそれぞれ近いのでお互い親戚のように濃密に過ごしてきました。

離婚のとき、色々ただただ聞いてくれて、なんかちゅーと避難させてくれる人です。

 

だから二人で旅行といっても女子特有のキャンキャンした可愛いのじゃなかった。

どっちかっつーといい旅夢気分みたいな…。

夜、飲み屋で語ってた時も、女子会っつーより戦友が無事に帰って来てバーで飲んでる、みたいな。

表情出にくい奴なんでわかりにくいけど、多分楽しんでたんだろうな…。

 

楽しかったです!

 

 

 

 

ミイラ化の夏(2013年夏)

まあ端的に言いますと

 

仕事ギブアップ。

 

 

だって二か月で4キロ痩せたからね。

毎日夜遅く帰っても笑顔が作れず、毎晩うなされ、毎週土日仕事していたら

子どもたちからSOSが出てしまった。

頑張ってる私に何も言えずに新しい環境で頑張っていた2人だったけど

イジメというか嫌がらせというか

そういうのに心を傷つけられてしまった。

 

私が就職した職場。

店舗面積の半分が私の持ち場となってしまい、先輩やパートさんたちが助けてくれたりもしたけど本当に大変で。

本来なら二人以上でやるような仕事量で、しかも新人で、マネージャー業務もしなきゃならんし、女社会で気も遣い(まぁそれはどこでも一緒だけど)

決定的に酷かったのは店長が全く仕事をしない人だった。

他の店舗だと店長って率先して品出しとかするらしいよー、うそー、みたいな話をみんなでしてて

倒れそうになりながら仕事してる私を見て、先輩が店長にキレて

常務と専務が来てしまった。

 

そんな状態で考えた末に私はもう少し子どもが大きくなるまで

土日や夜は一緒にいられる仕事にしようと思いまして

退職を決意。

もう一歩間違えたら極道モンみたいな常務と専務と統括マネージャーにも勇気振り絞って言いました。

「子どもが大きくなったらいつでも戻っておいで。君はすごく仕事ができるって聞いてるから」

とニコニコして言われたけど正直微妙やで…。

 

退職決まったら気が楽になって

妹とお祭りなんぞいったりもしました。

子どもたちはジジちゃんババちゃんと新潟に行ってたんで。

 

そしたら男性一人紹介されまして。

ちょっと筋肉質でイケメンの、私と同い年で、バツイチで声優オタクの。

条件が揃いすぎててびっくりするでしょ?まーこっちもちょっとネコかぶったりしましたよ。

そしたらね?

 

「いやー僕、実は妹さんのことずっと好きだったんですよー。妹さん結婚した時泣きましたもん。いやー、ハハハ」

 

とか言ってくれて。

もう妹と私の顔、ハニワみたいになった。

何言い出すんだ、コイツと。

今思うに予防線だったんでしょうね。私とくっつけられないための。

その後はアザゼルさんとか声優の話とか散々オタク話しました。

彼が帰ったあと、私たちは祭りで飲んだくれましたよね。

妹が「おねいちゃん、ほんとごめん…ごめん…」とか謝りながら日本酒空けてましたからね。

 

なんだろうな…夏ってこういうことなのかな…。

 

ちなみに退職を考えた時、庭の縁側で夜中ずっと考え込んでたんですけど

背中にセミの幼虫登ってきてました。

それに気づかなかった自分の病み方に驚いた。

就職活動、そして(2013年6月)

五月と六月は就活してました。

若いうちに結婚した柳はきちんとした就活をしたことがなく、ちょっと色々受けてみたいなと思い、某老舗デパートへ。

説明会・筆記試験…面接も三次までは通ったんですけどねー。

あかんかった。まぁ無謀は承知。

大きな会社の筆記試験てどんなもんなのかと興味もありましたしね。

あのずーっと数字を足していくやつ、すごいですね。

精神と時の部屋かと思った。隣の席のおばさんがずっとブツブツ呟きながらやっててキレそうになりました。

 

その時の経験というか場馴れした成果か、めでたく契約社員で量産衣料店へ就職が決まりまして

仕事始めまで少し日が空いたので、臨月の妹とよく遊んでいました。

運動も兼ねて買い物とかよく行ってましたね。

 

駅前に用事があって行った時に、線路ぞいのフェンスのお母さんがしゃがみこんでて

「え?具合悪いのかな?」

と心配で立ち止まって見てみたら

お母さんが弱弱しい声で

「鬼がくるぞー」

とか言ってて、誰に向かって言ってんのかなと思ったら

10m近く遠くのフェンスにしがみついてる丸い塊がいて

あ、子どもがついてきてくれないんだなと思って。

ヤンチャなお子さんだと大変だなーつって。

よくよく見たら

 

妹とヒメコで。

 

「…何やってんの?」

と声かけた時の妹の顔がすごかった。

 

 

 

 

 

 

 

さて新しい職場については次回語ることにして

 

6月21日。

 

妹に第二子・レイコが誕生!

 

予定日過ぎても全然生まれず、周りをヤキモキさせておりましたがやっと誕生です。

産後のアドレナリンで興奮した妹が

「美人じゃない!?ねぇ美人だよねぇ!?ヒメコの時と全然違う!」

と騒いで同意を求めてきましたが

ヒメコはガッツ石松だし、レイコは温水だし

つーか新生児なんてそんなに個体差ねぇから、と言っても冷めやらなかったので

まるごとバナナ与えておきました。

ものっそ静かになった。まるごとバナナって偉大。

 

小さい子が好きな娘は狂うほどに喜び

「ヒメコのときは私にも反省点があった。レイコは決してああいう風にしない!」

とよくわからない決意を固めておりました。

 

 

ちょっと一休みのGW(2013年GW)

4月29日。

地元でお祭りがありまして。苗木市っていうんですかね。

地元の町内会やら、ボーイスカウトやら、婦人部やら手作りのお店もそこそこあって

和菓子屋さんがお餅ついてたり、プロのテキ屋さんもいたりで楽しいんです。

この時二人目を妊娠中だった妹親子も来まして、みんなで行こうと。

母「おねいちゃーん、行くわよー」

柳「ちょっと待ってー、デニムじゃなくてスカートにするー」

と、デニムのレギパンを脱ごうと、足先の裾を持って引いた瞬間

 

グキ

 

そうです。ええ。ギックリ腰です。軽いものだったんで、歩けはしたんですけど

すんげー痛い。歩きたくない。

でも姪のヒメコ(当時2歳)がだっこをせがむ。

妹は妊娠後期。私が抱くしかない。

脂汗って…こんなに気持ち悪いもんなんだなーと実感しました。

 

お祭り見終わって、家について二階で寝ていると、ドアが開き

ニヤリと笑った妹がポーンとヒメコを投げ込んできた!

柳「動けないって言ってるのに…!」

妹「ヒメちゃん、乳母ちゃん(私のことです)イタイイタイだから、イイコイイコしてあげてねー」

ヒ「あーい」

なんだその素直な返事!おい!

無情にも扉は閉められ、ヒメコはぬいぐるみをまるで大刀の如く振り回している。

戦国無双で言ったら島左近だな…お前…。

ヒメコと名乗る蛮族は、ぬいぐるみたち相手にひと暴れした後、身動きのとれない私の方を振り返った!ニヤリ。

その顔そっくりだな!

ヒ「ちゃーちゃ!おっぱい!」

そう言って私の身体をさんざん好き勝手しておりました…。まじ蛮族…。

 

 

5月2日~。

惜しまれながらも整骨院退職。さすがに三年勤めたんで患者さんたちから色々いただきました。

お菓子詰め合わせ・ケーキ・花束・洋服・バッグ・ポーチ・ハンカチ・鉢植え

若干重量がすごくて…もう本当…電車の乗り換えのときとか紙袋持ちすぎて、手がアイアンクローみたいになってました…。

ありがたかったです!

家についたら荷造り!夜には母方の伯母の待つ新潟へ出発!

 

新潟はいいとこです。空気も水も美味しいし。伯母も私にすごく優しくしてくれるのでリフレッシュできました。

新潟では酒ばっかり飲んでました。正直それ以外何があるんだい?と言わんばかりの酒量でしたね。

犬と戯れたり、甥っ子の彼女を冷やかしたりも全部酒飲みながらやってました。

アル中気味のタチの悪い親戚のおっさん化してました。

反省します。

 

 

 

 

 

手続きやらなんやら(2013年4月)

まあまず驚いたのはですね、私、前の住所を『3月31日』に転居して実家に戻ったんですよ。

「4月から市民だわー」っつって。

 

3月31日から市民なのな。

 

『3月31日』に転居は『3月31日』から新住所なのな。

そんでびっくりしたのがこの弱小市がな、たった1日の『3月31日』の分の国民健康保険

 

1か月分とりやがる。

 

1日、なんだったら引っ越し作業があって正味半日ぐらいしか市民じゃないのに1か月分。

他の市区町村だと日割り計算してくれるのに…。一応噛みついたけどダメだった。

後日ジジちゃんに報告したらすげー怒ってたけど。

 

あとは学校転入の手続き。

娘と息子で書く書類も2倍。

用意するものも大混乱。名前書くのも『これどっち!?』とか確認しなきゃならない。

この頃、離婚届けは提出していたものの、子どもたちの戸籍を私の戸籍に移してない時期。

離婚して、旧姓に戻った私の戸籍がかっちりするのが約3週間後で、その後家庭裁判所で子どもたちの戸籍を移動させるらしい。

子どもたちの今後のために旧姓に戻さないご家庭もたくさんあるだろうけど、わが家の場合、学校も変わることだし、実家を息子のものにしてやりたいという気持ちもあり…。

 

当時引き継ぎのために通っていた仕事が13時に終わり、家庭裁判所へ。

裁判所なんて生まれて初めてだけど、事前に軽く調べといたし?

「あ、そちらを曲がってください」

なんつって案内されてチョレーチョレーとか思いながら書類書いて提出したら

 

「じゃあ30分後に面談が行われますので待合室でお待ちください」

 

面・・・談・・・?

 

このピンクのチュチュスカートの女が?

 

こ、こんなことならもっと真面目な服を着て来ればよかった…!

待合室に入ると数人のお母さんが待っていて、何人か所在なさげに座ってる。特に古着のデニムで大胆なビンテージ加工の人とか。

しばらくすると番号で呼ばれて指定の個室へ。

 

そこにはカメオのタイした気の良さそうなおじいちゃんがニコニコした顔で座ってて、ちょっとホッとして面談しました。

手続き終了して、裁判官の判が押された証書を頂きまして

 

「こちらを持って市役所で手続きしてくだされば、戸籍の移動が完了します」

 

時間を見たら16:10。

・・・いけんじゃね?

この時の私は子供たちと名字の違う今の状態がなんとも気持ち悪くて、手続きは早めたかった。

バスの飛び乗って、乗ること25分。

バス停降りて、なんだか知らんけどテンション上がって走って市役所へ。

戸籍課ついたのが16:50でした。

間に合った…!

 

名字が一緒になった住民票と保険証をもらった時に、なんとも感慨深い気持ちになりました。

今思うとようやく新生活がスタートした気持ちになったんだと思います。

 

この後、学資保険の手続きなんかで色々フガァァァァァ!となったりもしましたが

我が市の郵便局の保険担当のイケメンがすごく話のわかる人で、なんとかなりました。ありがたい。

 

皆さんも手続き等は十分に下調べをして、決してピンクのチュチュなんかでは行かないように…!